『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んだ話。

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燃え殼という人は恐ろしい。

ボクは小沢健二ホットドッグプレスもむげん堂も知らない。それなのに、これはボクの話だった。

風化させようとしたあの頃の記憶は、この小説で鮮明に蘇る。あの人も、いつまでも思い出にさせてくれない人だった。成仏できない言葉たちが、いつまでも頭の隅っこをぐるぐると駆け巡る。

河原町の地下へとつながる階段のすぐ横で歌っている、弾き語りの悲しいラブソングを並んで聴いていた。河原町通りを烏丸に向かう道を右に曲がったところにある古着屋で、お互いに選んだサングラスを似合わないねーって笑いあった後、その近くにあるゲームセンターのすぐ横の唐揚げ屋さんで、体は華奢なのにいっぱい食べていたあの人のこと。

大丈夫じゃないときに、「大丈夫」とよく言う人だった。

どこが好きだったの?って人はよく言うけど、そういうのじゃない。あの人より顔が可愛い人も、性格がいい人もいると思う。でもそんなことはどうでもよくなるくらいに好きだった。人間に惚れてしまった、圧倒的にボクの負けだった。

どうして別れたの?と聞かれても、満足させるような答えは用意できない。別れる理由なんていうのはそんな単純なものじゃない気がしている。もっと複合的で抽象的な形のないものが作用した結果だった。

このどうしようもない小説で思い出したことがある。

 

一度だけ、ボクの家に彼女が来たことがある。その日は珍しく高校が午前中で終わって、母親は仕事で妹も学校だったから家には誰もいなかった。普段は市バスしか使わないあの人が、京阪沿線の家の最寄り駅までの切符を買って嬉しそうな顔をしている。最寄りから家に行くには必ず通らなければならない斜面の急な坂にブツブツ文句を言いながらも、時々ボクの先を走ったりして、それをボクが追い越したりして、ふざけあいながらあっという間に家に着いた。普段は15分かかる家までの道を極端に短く感じた。
 
リビングのテーブルに向かい合って座って、インスタントのコーヒーを飲んでいる時に、ふいにこの人と一緒になりたいと思った。その時に、どんなことを喋ったのかは思い出せない。うわのそらで、あの人と家族になる未来のことを考えていたんだと思う。
 
その後、2階の寝室で下手くそなセックスをした。母親が帰ってくる時間が曖昧だったから、突然帰ってきたらどうしようかなんて言い合って、そのスリルも含めて楽しんでいたボクたちがいた。あの時、ボクたちは付き合っていた。まっしろな恋だった。
 
この小説にはたしかに純愛があった。時代も形も違うけれど、記憶のかさぶたをえぐられた。
真夏の日差しが反射するアスファルト、不味かったコーヒー、抱き合った時の汗の匂い。
あの時、小沢健二はいなかった。代わりに、どうしようもなかったボクたちの日々を夏のせいにした。
渋谷の円山町のラブホテルの代わりは、京阪沿いのボクの家だった。
何もかもが違うけれど、何もかもが似ているような気がする。
明日のことはよくわからなかったけれど、そういうことは心配する必要もなかった。
 
よく笑う人で、よく泣く人だった。あれから5年経った。あの人より好きな他の誰かに出会うことはできていない。それは、一生更新されないのかもしれない。だけど、それでもいい。それでもいいからあの人を好きになったんだと今は思う。言葉では簡単に言えない感情がボクの中にはあった。
もう連絡も取ってないし、好きなのか好きじゃないのかも自分でわからない。でもあの当時、たしかにボクたちの糸は京都の隅っこで交わっていた。今はその事実だけがあればいい。